閑話休題1 雅号「鴎外」の由来

 最初に、語り尽くされていると思うのですが、鴎外の鴎の「メ」は本来「品」と表されるのですが、この字は常用語からはずされてしまったので、略語での「鴎」表記となっています。意味は「カモメ」です。ちなみに本郷にある鴎外の家の中に建てられた「観潮楼」は昔はそこから海が見えたことからつけられたそうです。もしかしたらそこからカモメも見えたのかもしれません。「観潮楼」は鴎外のお気に入りの場所でした。

 従来「鴎外」という号は彼が1890年、28歳の時に『舞姫』を公にした際に、斎藤勝寿という人の号もらったとされています。しかし1936年の柳田泉の考証によって杜甫の『唐詩選』巻三の五言律にあることがわかっています。それでは五言律のうち鴎外の文字の見える最後の二行をみてみましょう。

(舟+虜)軽鴎外 柔ろ軽鴎の外
含悽覚汝賢    悽を含んで汝が賢をさとる

意味は、
「雨が降っている。カモメが軽やかに浮いている。その中をいっそうの小舟が通り過ぎる。
いかにも悲しい風景だ。それを見ているおまえ(カモメ)の心がしのばれる。」
というものです。

鴎外は学生時代に同期小池正直に作詩を習うなど漢文にも詳しかったので号「鴎外」は自作かもしれません。事実その6年前の1884年、22歳の時、ドレスデンで読んだ『ファウスト』の本に鴎外漁史の署名がみられます。しかし、斎藤勝寿は1880年、鴎外18歳の時に「鴎外」の号で漢詩をつくっています。ではどちらが先なのでしょうか。

 最後に1890年「衛生新誌」は鴎外斉藤勝寿が森鴎外について書いた詩が載っている。ということを付け加えておきます。

(参考文献:『童馬山房夜話』斉藤茂吉1938年)

(Aug.21st.98')