閑話休題8 軍医だった森鴎外

外と知られていない方が多いようなのですが、森鴎外は文学者である前に軍医でした。彼は文学と医学の博士号を持っていますが、取得は医学博士の方が早く、明治24年8月、29歳の時に手に入れています。

外自身自分が文学者と思っていたことはなかったようで、「鴎外漁史とは誰ぞ」の中でも、自分が文学者であったなら世の中は文学者の多きにたえないだろうといっていて、文学者の弟子は終生とりませんでした。

は軍医としての鴎外はどんなことをしていたのでしょうか。彼は衛生部に所属し、その最高職である軍医総監にまで上りました。
 
生とは当時最新の概念で、病気を治すのではなく、予防しようというものです。鴎外はドイツ留学時に、衛生学の権威ペッテンコーフェル、細菌学の権威コッホに直接師事しています。
 
して軍医としては数々の著作を著しているのですが、その中で最も大きな業績は明治43年の腸チフス予防接種の全軍実施です。現在日本の三大死因は、脳梗塞、癌、心筋梗塞ですが、同時は、腸チフス、結核、脚気でした。鴎外はその一つの予防に成功したのです。
 
面、軍医としての仕事には大きな汚点もありました。脚気問題です。森は大学時代から脚気は細菌によるものだと信じていました。そして、ドイツ留学時にコッホに師事し、その念を強くし、上司石黒忠悳とともに脚気細菌説を主張しそれを断行した。それに対して、同僚であり、大学時代からの知り合い、鴎外に対しては兄貴株の小池正直は米食が原因であると反論していた。結果日清日露戦争では、戦死者よりはるかに多くの兵を脚気で亡くしてしまいました。
 
かしこれは鴎外を責めることはできません。当時はまだビタミンが発見されていなかった頃であり、脚気の原因がビタミンB1だと分かったのは鴎外が死んだ後のことです。また、脚気の原因が米食によるビタミンB1の不足であると分かったとしても、物理的に兵士全員にパンを供給することはできなかったことが分かっています。事実、配給可能な海軍ではパン食が実施されています。もしかしたら、鴎外も実は米食が原因だと気づいていたかもしれません。明治41年コッホ来日の時には、再度コッホに確認をとっています。

(8th Feb ’99)