| 閑話休題9 削除された「舞姫」 |
「舞姫」といえば鴎外の作品の中で最も代表的な作品の一つですが、この「舞姫」には削除された部分があります。それは以下の文章です。我がかへる故郷は外交のいとぐち乱れて一行の主たる天方伯も国事に心痛めたまふことの一かたならぬが色に出てゝ見ゆる程なれば随行員となりて帰るわが身にさへ心苦しきこと多くて筆の走りを留めやする又た海外にてゆくりなく伯に受けたる信用のなみなみならず深きに学識、才幹人に勝れたりと思ふ所もなき身の行末いかにと思ひ煩ひて文つゞる障りとなるにや、否これは別に故あり」それではこの文章は何故削除されてしまったのでしょうか。この「天方伯」は当時の内相山県有朋がモデルであるといわれています。この「天方」に伯と爵位がつけられているのは、有朋が明治十七年七月の「華族令」発布に従い、伯爵の爵位を授けられていたからで、当時の読者には字は違っても天方伯のモデルが山県であるということは容易に推察できたと思われます。
この削除された文章は最初の場面、主人公太田が帰東の船の中で回想するシーンで「げに東に還る…」で始まる段と「嗚呼、ブリンヂイシイの港を出でゝより…」の段の間にはいるのですが、削除された「外交の糸口乱れて」という下りは山県が推進した不平等条約改正という政治的に重要な懸案が、自由民権派以外にも、政府部内からも厳しい反対をあびて一向に進展しなかったという出来事を指します。山県はその後、自由民権派の反対を押し切るために、警察制度を改変・強化し、明治二十年十二月にはプロイセンの社会主義者鎮圧法に範をとった「保安条令」を制定公布し、中江兆民や尾崎行雄らの民権派閥士たちを東都三里外に追放しました。
この「舞姫」が発表された明治23年前後に、鴎外は都築氏の紹介によって山県有朋に会う機会を得ました。これ以前二人はドイツに行っていますが、入れ違いであったので「舞姫」の内容はやはりフィクションのようです。ちなみに太田のモデルはドイツで免官処分となった武嶋務で武嶋は太田出身でした。鴎外はこの山県との面談で山県に拒絶され精神的に大きなダメージを負いました。その様子は明治31年に書かれた『知恵袋』の中に収められています。
この「海外にてゆくりなく伯に受けたる信用のなみなみならず深き」は虚構にしても後味の悪さが感じられます。おそらく鴎外は都築氏から山県と会う機会を得て、自分の勝手な思いこみで「山県から受けた信用」を作品の中に折り込み、後には自分の廉恥の情に強く動かされて全文削除ということになったのではないでしょうか。
(平成11年4月11日)