前回に引き続き後編をお届けします。ドイツ留学中にあらぬ誤解を招き、免職となった太田豊太郎は約束の期限を過ぎて、エリスと共にドイツにとどまることを決意しました。相沢の助けを借りて新聞の通信員になった豊太郎は貧しいながら幸せな生活を送っています。。そして学問においても他の留学生の至らぬ境地に達したと喜んでいます。第4章にはいると明治21年の”冬”を迎えます。さて豊太郎、エリスはこれからどうなってゆくのでしょうか。(Sep.3rd.’98)
一部修正 (Jan.4th.2002)
明治21年の冬がきた。表通りの歩道は砂をまいて鍬(すき)をふるっている。クロステル街のあたりはでこぼこした所はみられるけれど、表だけは一面に凍って、朝に戸を開くと、哀れにも飢えて凍えた雀が落ちて死んでいた。部屋を暖めかまどに火をつけても、壁の石を突き通し服の綿をも突き通す北ヨーロッパの寒さは、なかなか耐え難いものがある。エリスは2、3日前の夜、舞台で倒れ、人に助けられて帰ってきたが、それから気分が悪いといって、ものを食べるごとに吐いた。これをつわりであると最初に気づいたのは母であった。ああ、そうではなくても先行き不安な我が行く末なのに、これが本当であったならどうすればいいのだろうか。
今朝は日曜だったので家にいたが、心は楽しくなかった。エリスはベットに寝るほど悪くはなかったが、小さいストーブのあたりに椅子を寄せて言葉少なげであった。この時戸口から人の声がして、程なく、台所にいたエリスの母が、郵便の書状を持ってきて私に渡した。見ると見覚えのある筆跡で、郵便切手はプロシアのものである。消印はベルリンと書いてあった。不審に思いながら開いて読んでみると、「急ぎの用であったのであらかじめ知らせることができなかったが、昨夜ここに到着した天方大臣に付き添って私も来た。伯が君に会いたいとおっしゃっているので、早く来い。君の名誉を挽回するのは今だ。気持ちだけがはやるので用事だけを伝える」とある。読み終わって、呆然とした私の顔を見て、エリスは「故郷からの手紙ですか。まさか悪い便りではないでしょうね」彼女は例の新聞社の報酬に関する書状と思ったのだろうか。「いや、気にしないでくれ。あなたも知っている相沢が、大臣とともにここに来て私を呼んでいるのだ。急げというからには今から行こう」
かわいい一人っ子を見送る母もここまでは心を使わないだろう。大臣に面会するかもしれないと思うからである。エリスは病を押して立ち上がり、ワイシャツの一番しろいものを選び、丁寧にしまっておいたゲエロック(【Gehrock】フロックコート)という二列ボタンの服を出して着せ、ネクタイさえ私のために結んでくれた。
「これで見苦しいとはだれもいわないでしょう。鏡に向かって見てみて。どうしてそんなに不機嫌な顔をしているの。私も一緒に行きたいくらいなのに」少し表情を変えて、「いえ、こんな風に服を改めた様子を見ると、何となく私の豊太郎様とは見えないわ」また少し考えて、「たとえ富貴(お金があり身分が高いこと)になることがあっても、私を見捨てないでくださいね。私の病が母のいうとおりではなくても」
「なに、富貴」私は微笑した。「政治社会にでるという望みは断念してから何年も経っている。大臣は見たくもない。ただ長年別れた友人に会いに行くだけだ」エリスの母の呼んだ一等のドロシュケ(【Droschke】一頭立ての辻馬車)は、車輪の下できしむ雪道を窓の下まで来た。私は手袋をはめ、少し汚れたオーバーコートを背に覆って手は通さずに帽子を取ってエリスにキスをして建物を降りた。彼女は冷たい窓を開け、乱れた髪を北風に吹かせて私が車に乗るのを見送った。
私が車から降りたのはホテル・カイゼルホオフ【Kaiserhof】の入り口だった。フロントに秘書官相沢の部屋の番号を訊ね、長いこと踏み慣れない大理石の階段を上り、中央の柱にプリュッシュ(【plusch】ビロードの一種)を覆ったソファーを据えて、正面には鏡をたててある控え室に入った。オーバーコートはここで脱ぎ、廊下を伝って部屋の前まで行ったが、私はここで少し躊躇した。同じ大学にいた時に、私が品行方正であるのを褒めていた相沢が、今ではどんな顔をして出迎えてくれるのだろうか。部屋に入って向き合ってみると、姿こそ昔にくらべて肥えてたくましくなっていたが、依然と変わらない快活な性格、私の失態をそれほどまでには気にしていない様子だった。別れて後のことを詳しく話す時間はなかったので、案内されて大臣に謁見し、委託されたのはドイツ語で書かれた文書が、急を要するというので、翻訳してくれということだった。私は文書を受け取って大臣に部屋を出たとき、相沢は後から来て一緒に昼を食べようといった。
テーブルでは彼は多くのことを尋ね、私は多くのことを答えた。彼の人生行路はだいたい順調であったが、不遇なのは私の身の上である。
私が胸の奥を開いて語った不幸な履歴を聞いて、彼はしばしば驚いていたが、かえって私を責めようとはせず、凡庸な諸先輩をののしった。しかし話の最後には、彼は色を正して、「この一連のことは生まれながらの心の弱さから生まれたことだから、今更なにもいうまい。しかし、学識があり、才能のあるものがいつまでの少女の情けに関わって、目的のない生活をするべきではない。今は天方伯もただドイツ語を利用しようという気持ちだけのようである。私もまた伯が免官の理由を知っているので、無理に先入観を変えようとはしないのは、道理を曲げてまでかばう男だと思われているのは、友人に対しても利がなく、自分に損があるからである。人に薦めるにはまずその能力を見せるのに越したことはない。これを示して伯の信用を得なさい。それとかの少女との関係は、たとえ彼女に誠意があったとしても、たとえ情交が深くなっていたとしても、それは人を知っての恋ではない。習慣というという一種の惰性から生じた交際である。意志を決めて別れなさい」これがその話の要点である。
大海で舵を失った船人が遙か遠くにある山を望もうというのが、相沢が私に示した前途の方針である。しかしこの山はさらに深い霧の中にあって、いつ着くかも、いや、果たしてたどり着くことができるのかも、そしてそれが私の心を満足させることができるのかも明らかでなかった。貧しい中にも楽しい今の生活。捨てがたいエリスの愛。私の弱い心では決心できるわけはないのだが、しばらくは友の言葉に従うことにして、このつきあいを断とうと約束した。私は守るところを失うまいと思って、自分に敵対するものには抵抗するが、友に対しては嫌とはいえないのであった。
別れて外に出ると風が顔を打った。二重のガラス窓を固く閉ざし、大きな陶製の暖炉に火を焚いたホテルを出たところ、薄いオーバーコートを突き通す午後4時の寒さはことさら耐えづらく、鳥肌が立って、私は心の中に一種の寒さを覚えた。
翻訳は一夜で成し終えた。カイゼルホオフに通うことはこの時から次第に頻繁になっていった。初めは伯の言葉も用事のみであったが、後には近頃故郷であったことなどを挙げては私に意見を尋ね、折に触れては道中で見た人々の失敗談などを告げて笑っていたりした。
ひと月ほどが過ぎたある日、伯は突然私にむかって、「私は明日、ロシアに出発しなくてはならない。一緒に来るか」と尋ねた。私は数日の間、例の公務で暇のない相沢を見なかったので、この問いは不意で私を驚かせた。「どうして命に従わないことがあるでしょうか」私は自分の恥ずかしい性格上の欠点の告白しよう。この答えはすぐに決断していったのではない。私は自分を信頼して頼む人に突然問われたときに、とっさに、その答えの内容をよく考えることもしないで、直ちに承諾してしまうことがある。そして承諾した上に、それが困難であることに気づいても、強いてそのとき動揺しているのを隠して耐えてそれを実行することがよくあった。
この日は翻訳の給料に、旅費を添えていただいたのを持ち帰り、翻訳の給料はエリスに預けた。これでロシアから帰るまで生活費はまかなえるに違いない。彼は医者に診せたところいつもではないからだであるという。貧血症のため、数月の間は気を配っていた。座長は「休むことがあまりに多いので除籍した」といってきた。まだ一月ほどであるのにこのように厳しいのは例の理由があるからに違いない。旅立ちのことはそれほど心を悩ましているようにも見えなかった。いつわりのない自分の心を深く信じていたので。
鉄道を使っての旅だったので、用意も必要なかった。体に合わせて借りた黒い礼服、新しく買い求めたゴタ版【Gotha】のロシアの貴族名簿、二,三種の辞書などを小さな鞄に入れただけである。さすがに心細いことの多いこのごろは、出ていったときに残られるのもつらいので、また停車場で涙をこぼされてはうしろめたいので、翌朝早くエリスを母とともに知人のところへやってしまった。私は旅装を整えて戸を閉ざし、鍵を入り口に住む靴屋の主人に預けて出た。
ロシア行きについてはなにを記したらよいだろうか。私の通訳としての仕事は、たちまち私を連れ去って、青雲の上に落とした。私が大臣の一行に従って、ペテルブルク【Peterburg】にいた間に私の周囲を囲んでいた物は、パリ絶頂の驕奢を氷雪の中に移したような王城の装飾、ことさらにろうそくのあかりをいくつともなくともしているのだが、多くの勲章、肩章が反射する光、彫刻の技術を尽くした、カミン(【Kamin】壁に取り付けた暖炉)の火に寒さを忘れて貴族の夫人、令嬢があおぐ扇のひらめきなどによって、この中で一番フランス語を流暢に話すのは私な為、客と主人の間を廻って実際に話をするのは多くは私である。
この間私はエリスを忘れなかった。いや、彼女は毎日手紙を送りつけてきたので忘れることができなかった。「あなたが出発した日は、いつになく一人でランプにあたることつらかったので、知人のところで夜になるまで話をして、疲れるのを待って家に帰って、すぐに寝ました。次の朝目覚めたときは、後に一人残ったことを夢ではないかと思いました。起きたときの心細さ、このような思いは生計に苦しみその日に食べる物がなかったときにもありませんでした」これが彼女の最初の手紙の概要である。
またしばらくした後の手紙はたいへん思い迫って書いているようであった。手紙は「いいえ」という単語で始まっていた。「いいえ、あなたを思う気持ちの深さはいま知りました。あなたは故郷に頼りになる親戚がいないとおっしゃっていたので、この地によい世渡りの方法があれば、とどまることでしょう。また私の愛で引き留めるつもりです。それでも東へ帰るとおっしゃるのなら、親と行こうと考えるのは簡単ですが、それほどまでに多い旅費を何処から手に入れることができましょうか。どんな仕事をしてでもこの地のとどまって、あなたが世に出る日を待とうといつも思っているのですが、しばしの旅であなたがいなくなってからこの20日ほどの間、別れの思いが日増しに募ってゆきます。離れるのは一時の苦しみだと思っていたのは誤りでした。私の”常ならぬ身”が次第に目立ってくるようになりました。そのこともあるので、たとえどんなことがあっても決して私を捨てないでください。母とはひどく争いました。しかし昔の自分に似て決意を固めているのを見てあきらめたようです。私が東へ行く日には、ステッチン【Stettin】あたりの農家に遠い親戚がいるので、そこに身を寄せるといってました。書き送りましたように、大臣の方に重く用いられた場合は、私の旅費もどうにかなるでしょう。今はただあなたがベルリンに帰る日を待っております」
ああ、私はこの文章を読んで初めて自分の立場をはっきりと理解できた。私の鈍い心が恥ずかしい。私は自分一人の進退についても、自分に関係のない他人のことについても決断できると、自負してきたのだが、この決断はうまくいっているときだけであって、逆境ではなかった。私と人との関係を照らそうと思ったときは、頼りにしていた私の胸の内は曇っているのである。
大臣はすでに私を厚遇している。しかし私の近眼は自分が尽くした仕事だけを見ていた。私はこのことが未来の望みをつなぐものになることに気づいていなかった。神もご存じのことと思うが、本当に思い至らなかったのである。しかし今ここで気づいて、私の心は冷静でいられることができなかった。以前友が仕事を斡旋してくれたときは、大臣の信用は屋根の上の鳥のように手に入れにくいものであったが、いまはわずかであるが、これを手に入れたとは思っていた。相沢がこの頃「本国に帰ったあとも共にこのようであったら…」といっていたのは、大臣がそういっていたのを、友人であっても、公のことなので教えてくれなかったのだった。今にして思えば、私が軽率にも彼に向かってエリスとの関係を絶つということを、すぐに大臣に知らせたのではなかったか。
ああ、ドイツに来たばかりの頃は、自ら自分の本領を悟ったと思い、器械的人間にはなるまいと思っていたが、それは足を縛られて放たれた鳥が、しばらくの間羽を動かし、自由を得たと誇っていただけではなかったのか。足の糸は解く術がなかった。最初にこれを操っていたのは私の某省の官長で、今はこの糸は、ああ、哀れなことに、天方伯爵の手中にあった。私が大臣の一行と共にベルリンへと帰ったのはちょうど新年の朝であった。停車場で別れを告げ、我が家を伝え、車を走らせた。ここベルリンでも元旦には眠らないのが習慣なので、どの家も静かであった。寒さは強く。路上の雪は角のある氷片となって、晴れた日に映り、きらきらと輝いていた。車はクロステル街を曲がって、家の前まで来た。この時、窓の開く音がしたが、車の中からは見えなかった。御者に鞄を持たせ階段を登ろうとすると、エリスが梯子を駆け下りるのに会った。彼女が一声叫んで私のうなじを抱いているのを見て、御者はあきれた表情で何か髭のうちからいっていたが聞こえなかった。
「よく帰ってきました。帰ってこなかったなら私の命は絶えていたでしょう」
私の心の中はこのときにもまだ決心がつかないでいた。故郷を思う念と栄達を求める心は時として愛情を押さえ込もうとしていたが、この一瞬に、迷いは消え去り、私は彼女を抱き、彼女の頭は私の肩により掛かって、彼女の涙がはらはらと肩の上に落ちた。
「何階に持って行けばよいのでしょうか」一足先に階段を登り、梯子の上にいた御者は銅鑼(ドラ)のような声で叫んだ。
戸の外で出迎えたエリスの母に、「御者をねぎらってください」と銀貨を渡して、自分は手を取って引くエリスに連れられて、急いで部屋に入った。一目見て驚いた。机の上には白い木綿、白いレースなどがうずたかく積み上げられていたので。
エリスは微笑んでこれを指して、「どう見ます。この心構えを」といいつつ一つの木綿の切れを取り上げた。見るとおしめであった。「私の楽しさを考えてください。産まれる子供はあなたに似て黒い瞳を持っているでしょう。この瞳。ああ、夢にまで見たのはあなたの黒い瞳です。生まれた日にはあなたの正直な心で、他の性を名乗らせることはないでしょう。彼女は頭をたれた。「幼いと笑うかもしれませんが、教会に入る日(註:子供の洗礼を受ける日)はどんなにうれしいことでしょう」見上げた目は涙で満ちていた。
2、3日の間は大臣も旅の疲れがあるだろうと思いあえて訪ねず家にこもっていたが、ある日の夕暮れ、使いがあり招かれた。行ってみると待遇は格別にによく、ロシア行きの労を尋ねたり慰めた後、「私と一緒に東へと帰る気はないか。おまえの学問は私が計り知るところではない。語学だけでも十分世の用には十分立つ。滞在があまりに長いので、様々な扶養家族があるのではないかと相沢に尋ねたところそんなことはないと聞いたので安心している」とおっしゃった。その雰囲気は否定することができないものがあった。「あっ」と思ったが、さすがに「相沢に行ったことは偽りです」というわけにも行かなかく、またもしこの手にすがらなければ、本国を失い、名誉を取り返す道も絶たれ、我が身は広漠としたヨーロッパの大都の人の海の中に葬られると思う気持ちが脳裏に浮かんだ。ああ、何という特操のない心だろうか。「承りました」と答えるとは。
鉄面皮の顔は持っているが、帰ってエリスになんといえばよいのだろうか。ホテルを出た時の私の心の混乱は例えようがなかった。私は道の東西も分かず、思い沈みながら、行き交う馬車の御者に何度か怒鳴られながら、驚いて飛びのいた。しばらくしてふとあたりを見ると動物園のそばに出た。倒れるように道のあたりにあるベンチに寄り掛かって、焼いたように熱く、槌で叩かれたように響く頭をベンチの背にのせて、死んだように数時間を過ごした。激しい寒さが骨をも通すように感じ、目が覚めたときは、夜に入って雪が激しく降り、帽子のひさし、オーバーコートの肩には1寸(約3センチ)ほど積もっていた。
もう11時を過ぎていた。モハビット【Mohabit】、カルル街【Karl Strasse】の通りの鉄道馬車の線路も雪に埋もれ、ブランデンブルグ門のほとりのガス灯は寂しげな光を放っていた。立ち上がろうとしていたが、足が凍えていたので、両手でさすってようやく歩けるようになった。
足の運びははかどらなかっので、クロステル街まで来たときは、夜半を過ぎていた。ここまで来た道をどうやってきたのか分からない。1月上旬の夜なので、ウンテル−デン−リンデンの酒場、喫茶店はまだ人の出入りは盛んでにぎやかだったが、全くおぼえていなかった。私の脳裏にはただただ自分は許されることのない罪人であるという気持ちで満ちていた。
4階の屋根裏部屋には、エリスはまだ寝ていないと見えて、きらめく一つの灯火が、暗い空にすかすと、はっきりと見えるが、降りしきる鷺のような雪のため、覆われてたり、現れたりしている。風にもてあそばれているのにも似ている。戸口にはいると疲れがどっとでて、体の節々の痛みが耐えられなかったので、はうように階段を登った。台所を過ぎて部屋の戸を開けてはいると、机に寄りかかっておしめを縫っていたエリスは振り返って、「あっ」と叫んだ。「どうしたの。その格好は」
驚くのも無理はない。青ざめて死人のような私の顔色。帽子はいつの間にかなくなっていた。髪はもつれ、乱れて、何度か道につまずき倒れたので、服は泥まじりの雪に汚れ、所々裂けていた。
私は答えようとしたが声がでなかった。膝が自然と震え、立つのに耐えられなくなり、椅子を掴もうとしたところまでは覚えているが、そのまま地に倒れた。
意識が戻ったのは数週間後であった。熱が激しくてうわごとだけを口ばしっていたのを、エリスは丁寧にに看病していた。ある日、相沢は訪ねてきた。私が彼に隠していた顛末を知って、大臣には病気のことだけを伝え、よいように繕っておいた。私は初めて病床に座っていたエリスを見て、その変貌に驚いた。彼女はこの数週間のうちにひどくやせて、血走った目はくぼんで、灰色の頬はこけていた。相沢の助けのおかげで日々の生活は困らなかったが、この恩人は彼女を精神的に殺したのである。
後に聞くと、彼女が相沢にに会ったとき、私が相沢と交わした約束を聞いて、また例の夕べに大臣に申し上げた一諾を知ってにわかに椅子より躍り上がって顔の色は土のごとく、「私の豊太郎さん、ここまでわたしを騙していたのか」と叫び、その場に倒れた。相沢は母を呼んで共に助けてベットに寝かしたが、しばらくして目が覚めたとき、目は直視したままで側の人をも見知らず、私の名を呼んではひどくののしり、髪をむしり、布団をかんだりして、またはにわかに気づいたようにものを探し求めた。 母が与えたものはことごとく投げ捨てたが、机に上にあったおしめを与えると、探り見て顔に押し当てて涙を流して泣いた。
それからは騒ぐことはなかったが、精神の作用は全く廃していて、その知能は赤子のようであった。医者に見せたところ、パラノイア【Paranoia】という病気なので治癒に見込みはないという。ダルドルフ【Dalldorf】にある精神病院に入れようとしたが、泣き叫んで聴かず、後には例のおしめ一つを身につけ、何度も出しては見、見てはすすり泣いた。私の病床は離れなかったが、これも正気でいてのことではなかった。ただ時々、「薬を、薬を」というだけであった。
私の病気は完全に治った。エリスに生きた屍を抱いて千行の涙を流したことは何度であったか。大臣に従って、東へと上京する時、相沢と相談して、エリスの母にかすかな生活をするのに十分な資本を与えて、哀れな狂女の胎内に残された子供が産まれたときのことも頼んでおいた。
ああ、相沢謙吉のような良友はは世に得難いであろう。しかし私の脳裏に一点の彼を憎む気持ちが今でも残っている。